たーぼの山日記

YouTubeやってます。「たーぼの山日記」山好な管理人が野宿に、渓流釣りに、たまに狩猟に行った記録です。

1年間の山小屋開拓を終えて...

2021年7月最近の小屋。f:id:takamattsu:20210715140913j:image

今、このブログに読者が何人居るのか分からない。

月に数回はアクセスがあるようなので、まずは1年間放置してしまっていたことを謝りたい。

屋外(というか屋内....?)活動の場が小屋つくりがメインになってからは発表の場がyoutubeがメインになってこのブログで記事を書く事が無くなって行った。

おかげさまでYouTubeの方は1年経たずに晴れて収益化する条件を満たし、今でも少しずつ登録者が増えている状況だ。

ではなぜ、今になってまた文章で記事を書きたくなったのかというと、動画だけでは段々に伝えられきれない事がでてきて一種の消化不良のようなものが溜まってきてしまっている事に気がついたからだ。

小屋で生活する中で色々な事を思ったり考えたりするのだが、動画内の1画面15文字程度の字幕だけではそれの全てを視聴者に伝えきれない。(動画内で私は話したりしないスタイルが定着してしまった)

YouTubeの動画を自分で見返すと、少し良く見せすぎたりしたかな...と反省したりもする。私は性格が良いと自分では思わないし、実際は後ろ向きな事ももう少し考えていたりするのだ。

ぼやきや愚痴を言うつもりはないが、ここではもう少し思った事を具体的に文章にしてまとめてゆければな、思っている。

今までの小屋作りの経緯が気になる方は、1年間のまとめ動画があるのでそちらを見てほしい。

www.youtube.com

さて、本題に入ろう。

ただの元登窯小屋をなんとか暮らせる様に改造してきた訳だが、意識せずとも元々のケチな性分が出てしまい材木を店で買う事が無くなっていった。その代わりに廃材や、ゆずってもらった古材、周りの森から木を切って来てそれらを使っていろいろな物を作る事が増えたのだが、それがすごいしっくりくるというか、小屋が完成して余裕が出来て来た今、今度はどのようにしてここで過ごしてゆくべきかといった事を考える次のステップにたどりついたのだろう。

たどり着いた理想の過ごし方とは「消費の少ない生活」だ。

それを世間一般に何というのか分からないが、エコな生活とも違うと思う。

車やバイクを使うのは全く何とも思わない。しかし余計な機能ばかり付いた新車を買いたいとは思わない。すぐに買い替えを促すシステムや法律が嫌いだ。車にしろ、パソコンに家電にしろ....

街で暮らしていると疑問を持ちながらも抗う事が出来ないその仕組みの中から、森の中では少しだけはみ出して暮らす事が出来る。

中古で格安で買った電動工具達はどれも良く動いてくれるし、壊れたら修理する事が出来る。部品だってシンプルな物が多いので自分で作る事ができるし、ハンマーやノミ、シャベルなんかはその最たる物で、煩わしいOSのアップデートも、サポート期間やサービスの終了によって使えるはずの物なのに使えなくなる事は無い。

YouTubeの広告料のシステムは素晴らしいが、私はその動画もサービス期間の終了しそうなカメラで撮影し、インターネットを使ってアップしている。なので完全な自給自足を出来ると思っていないが、なんでも消費してゴミにしてしまう仕組みから適度に距離をとって暮らしたいと思っている。

それとここの暮らしで気にいっているのは日々の中に「我慢」があると言う事だ。

欲しい物があっても自分で作れそうなら作ってしまうし、買うなら本当に必要な物か考える様になった。(一見無駄遣いのような物でも2ヶ月くらい悩んでまだ欲しいようならやっと買う様にしている。)

先ほど貼った動画は多くの方に見てもらえてコメントをたくさん頂いたのだが、私が小屋に断熱材を使っていない事について否定的なコメントも多く頂戴した。

私も他の小屋作り、小屋暮らしをしている方の動画が好きでよく見ているのだが、確かに断熱材を使っていない小屋は見つけられなかった。断熱材を否定している訳ではない。私には買う金が無かったので使わなかっただけだ。それが自分の身の丈にあった小屋なのだろう。

家にするならば断熱材はどうしても欲しいところだが、家を作っている訳ではない。ならば小屋には小屋の、寒さを楽しむ方法があっても良いはずだ。実際、凍えきって起きた朝、薪ストーブに火を入れたときのあの徐々に室内が熱に満たされてゆく感じ。トイレに起きて外から帰って来て暖かい寝袋に潜り込む時。

思わずニヤッとしてしまう。

寒さを解決する方法は一つではない。着込む事だって出来るし「我慢」だって立派な寒さ対策だ。寒さも楽しめる強さが欲しい。

-20度にもなる極寒の小屋で2週間の滞在を耐え抜いた。寒さも厳しかったがいつもより自然に近い所から見る真っ白な世界は息をのむほど美しかった。

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とはいえ真冬の2週間は私の体にかなり大きなダメージをあたえていた。このままにしておくわけにもいかず、計画を立てた。

1番寒さのひどいキッチンのある土間部分を床で覆ってしまおうというわけだ。

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↑この剥き出しの土間からの底冷えが小屋全体の熱を奪った。

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↑完成後。完全に底冷えの冷気をシャットアウトしてくれた。

 

この計画は大成功でストーブを燃やすと室内は30度近くまで暖まった。それに広い床下収納も手に入れた。1つのものを作って2つの問題を解決出来るのは素晴らしい。

そんな調子で春には広い屋根付きのウッドデッキ、ドラム缶のお風呂、欲しかった畑に簡単な鍛冶場まで作った。どれも必要以上のお金をかけずにもらって来た物や廃材を使って作った物だ。

中でも畑はこの小屋を作り始めた頃から欲しいと思っていたもので念願がかなった訳だ。

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今回作った小さな農園。

 

作業の様子は動画を見てもらった方が早いのでここではあえて書かないが、なぜ畑だったのかという事を詳しく書きたいと思う。

消費するだけではなくここを何か物を作り出す事が出来る場所に出来ないか。

畑で作物を育てる事はまさにそうだろう。

「農民芸術概論」

まずここをどんなところにしようかと考えた時に真っ先に思いついたのはこれだった。

銀河鉄道の夜」や「どんぐりとやまねこ」を書いた宮沢賢治の芸術論だ。

ーおれたちはみな農民であるー

から始まるこの文章は辛く過酷な労働を創造によって昇華させようとする試みだと思う。では昇華とはどのようにするのか

ー芸術をもってあの灰色の労働を燃やせー

 

声に曲調節奏あれば声楽をなし 音が然れば器楽をなす
語まことの表現あれば散文をなし 節奏あれば詩歌となる
行動まことの表情あれば演劇をなし 節奏あれば舞踊となる

.............とあるが

つまりは自分が得意な事、農業と関係のない事柄でも取り入れる事で暮らしや労働を明るい物にしようというわけだ。

これを私の小屋暮らしに置き換えて考えると違いが多すぎて漠然としてしまうのだが、とにかく何か私が好きな事、得意な事を表現するステージとしてこのささやかな農園を使えないだろうか。

私は普段仕事で写真や動画を撮っている。

という訳でここでの生活をYouTubeやブログで発信する事自体が目的を達成しているとも言えるだろう。

しかし私は思う。ギターが弾ける仲間や料理が出来る仲間、お話が上手い客でも良い。

とにかく色々な人が集まって畑の収穫祭が出来ないかと。

きっと今までもそういった試みをした人は沢山いるだろうし私も知っている。

しかしそれのどれとも違う。もっと、もっと黒い土から近いものにしたい。きっと映像が撮れる、とか音楽が出来る、なんて違いはここではナスかキュウリかくらいの違いでしかないだろう。収穫祭の間はみな農園の子供となれれば良い。

ひとつの焚火を囲み、ささやかな会にしたい。四駆も、大きなテントや高価なキャンプ道具も必要ない。

今年は集まる事自体が無理だろうから1人で予行演習にしようと思う。

焚火と小さなランタンで山小屋の農園収穫祭だ。