冬の小屋暮らしを振り返って(前編)
山小屋への帰還
山小屋のドアを開ける。
このドアは今年の夏に作った物だ。赤みがかったマホガニー色に塗装されたこのドアを取り付けた時の感想は、「これで熊が来ても壊れないドアになった」というなんだかズレたものだった。
夏の間は湿気を吸い少々窮屈そうに開閉していたこれは今、冷たく感想した空気に晒されてキイキイと申し訳なさそうに蝶番を鳴らして開いた。
鎮まりかえった室内は11月にここを去ったあの日から何も変わらない。
指先が痛くなる様な寒さを除いては。
ウォータージャグに残った水が凍っている。
カーテンを開ける、窓から見える景色もまた、前回の滞在までに見た物とは様子が全く違っていた。
さっきまで雪のなか、キツネがつけた足跡を辿ってここへやって来たはずなのに、この窓から眺める枝を白くした木々が冬の山小屋へと帰って来た事を強く私に思い知らせる。
まずは何をしようか。
普段より少しだけ小屋を離れる間隔が空いてしまったせいもあり、これから始まる雪の中の暮らしに気持ちが早まった。
やりたい事はいくらでも考えて来たのだ。
晴れてはいるがこの寒さだ。夜に備えて今のうちに少し小屋を温めておきたい。
ストーブに火をつけるのが最優先なのは去年も今年も変わらぬ冬の鉄則だ。
この小屋の西側の壁から煙突は出ている。
取り付けが悪く、ここへ帰ってくる度に外れている姿を目にしていた。この煙突を直す事は今回の滞在でやりたい事の1つであり、最も重要な仕事だった。
ステンレス製のシングルの煙突は固定具によって小屋の屋根に取り付けられている。
屋根は固定出来る場所が限られていてバランス良く固定出来る事が出来ておらず、風が強く吹けば横引きから縦引きに変わる境目で接続部が抜けて外れてしまうのだった。
今回真っ先に取り掛かった作業では
•縦引きをしっかりと固定し強度を上げる。
•接続部を掃除のしやすい十字型の物に替える。
•どうせ強度をあげるのならば縦引きの長さを伸ばして煙突の性能を上げる。
という目的があった。
もっと早くやらなければいけない仕事で、その必要性は充分に分かっていたのだがなんとか使えてしまうのでついこの日までそのままにしてしまっていたのだった。
丸太から製材をしたりクリスマスツリーを作るための流木を集めたり、新しい焚き火スペースを作ったりと楽しい作業がたくさんあった。
それらに比べると、よく外れる煙突の修理というのはどうしても魅力的には見えないものだ。
呑気な性格も災いしてまさに必要な時になってやっと取り掛かってしまった。もしここで何か不測の事態が起こって直せなかったら?いったいどうやって初日の夜をやり過ごすつもりだったのだろう。
色々な事を後回しにしてしまう性格を恥じながら、それでも順調に作業は進んであっという間にガタつきの無い高く伸びた煙突になった。
ここで最初に火をつけたのはミズナラの樹皮だ。ここの床板を貼った際に柱用に切り倒したミズナラを材木にした際にたくさんの皮が出た。それを集めて乾かしておいたのだ。自分で切り倒した木の皮を自分で作ったナイフで剥いで材木にした。その時に出た皮が今から燃料となり私を温めてくれる。
切り倒した木を、どこも無駄にする事なく使い切った事がたまらなく嬉しい。
樹皮とはいえ楢の木だ。鎧の様に分厚いそれは薪の代わりに充分なるのだ。
マッチで火を点ける。
白い煙は始めだけミズナラ独特の甘い匂いを室内に残し、すぐにストーブの奥へと吸い込まれて行った。
小屋でのトイレ事情
天気が良いうちにもう少し作業をしておこう。
作業上着のポケットに缶ビールを入れると集成材のボードの最後の一枚を持って外に出た。
内壁が張られていない箇所はポリカの波板の外壁が剥き出しで外から光が入って来る。
いわば天窓の様な役割を果たしているのだが、なかなか面積が広く光と一緒に冷気も入って来る。日が暮れると光は入らなくなるが冷気はより一層入ってくる、という困った壁だ。
最低限の採光だけ残してあとは塞いでしまおう。
丸鋸を取り出して、測った長さに切り出しながら今年もトイレを作らなかったな、と思う。
去年の冬、トイレといえばスコップと紙だけで私は地吹雪の中で下着を下ろす度に春になったら、とトイレの作成を強く心に誓ったものだ。
その春が過ぎて、森にひぐらしの声が聞こえ始める頃には私はもうすっかりとこの開放的なトイレの楽しみを知ってしまっていた。
この夏一緒に滞在した子供たちがまだ寝袋から出られないでいるうちからスコップ片手に今朝の特等席を求めて鼻歌交じりに森を歩いた。
秋になり、冬の足音が遠くに聞こえるようになっても今日は冷えるな、などぼやきながら少し小屋の近くに穴を掘ったりして誤魔化していた。
ネズミとの奇妙な共同生活
明日の朝の不安を朧げに抱えながら、私は光を遮る様に内壁を貼った。
まだ窓から光が入るので滞在するにあたり必要な準備をする。
食器棚やテーブルの上、ロフトの中を箒で掃く。
その途中たまにネズミの糞を見つける事がある。
ここのネズミたちと私の奇妙な共同生活は、一昨年の春ここにあった登り窯を解体した際に夜食として買ってあったカップ麺を齧られた時から続いてきた。
私は駆除を試みて小屋を去る時、殺鼠剤を置いて街へ戻った。
その夏に小屋へ来ると形はそのまま変わり果てた色になった殺鼠剤が残り、場所が悪かったのかとそれから幾度か仕掛けるもののネズミ達は居なくなるどころか、しばらく経つにつれ小屋を走りまわりピンク色の殺鼠剤を美味そうに食べている。
駆除しているのか飼っているのか分からなくなってしまった。
気にならないと言えばならないが、この先何を齧られるか分からない。ネズミ問題もこの滞在中に解決したい問題の1つだ。
小屋が抱えた問題の事ばかり考えていると気分が暗くなる。私は雪の中に放り込んでいたビールの事を思い出した。
雪景色の焚き火
ちょうど片付けも終わる頃だ、焚き火を熾そう、ソーセージを焼こう。
喉がすっかり乾いていた事に気がつくと火を熾す準備にも気が急いでしまう。
ビールが飲みたい。
焚き火場に積もった雪、その下に積もった枯葉を退かして火格子を取り出す。
またいくつか楢の樹皮を持ってきて並べそれに火を点ける。
森らしい濃い木の匂いが雪景色に立ち込め私はいよいよここへ帰って来たのだと思う。
すぐさま缶ビールのタブを開けひと口流し込むとため息が漏れる。
湯気のように白い息が雪景色に立ち登ってはすぐに消える。さっきよりもずっとちいさな白い湯気が再び上がった。
火はすっかり熾火だ、楢の樹皮を一掴み火に焚べてソーセージを串に刺す。
これは街の精肉店自家製のチーズソーセージで、私の従兄弟に教えてもらったものだ。チーズが練り込まれていてたっぷり入ったニンニクと胡椒が美味い。
串に刺してこの愛すべき火で炙る。
夜の青と炎の赤が紫色の景色を作りだしている。
パリッと焼けた頃に口に含む。
熱い肉汁が溢れて火傷するが構わない。
二口、三口と口に押し込む。すぐに冷たいビールが入って来るのは明らかだ。
腹が減っていたんだ、いくつか焼いては食べ、最後にビールを大きく飲み込む。白い息が長く伸びた。
こんな時間はいつ以来だろう。
あたりはもうすっかり暗く、小さくなった熾火が焚き火場のレンガを暗く照らしている。
父のガスストーブ
急に冷えを感じた。
ドアを開けて中へ入ると七輪の前に座った。すっかりガスを出し切った煉炭は赤々と燃えている。
網を乗せて今日の夕食にと買ってきた焼き豚を並べて待つ。なんだか静かすぎる手持ち無沙汰な時間だ。
そうだ、雪の中から缶ビールを掘り出すのは実に楽しかったがそれにも劣らない楽しみがまだあったじゃないか。
窓へ向かいカーテンの中へ潜り込む。窓ガラスを開けると川の音が一層大きく聞こえる。
目の前に伸びた氷柱の中で1番大きな1本に出来るだけ根元から折れる様に背伸びをして手を伸ばす。
ハイボールグラスを1つ取り出す。
これはここから下った街の福祉のリサイクルショップで1つ80円だった物だ。5つも買ったせいで小屋にはこのグラスがたくさんある。
細長いグラスに合わせて氷柱を折る。
少し濃くなる様にジンを注いだら、トニックウォーターは泡立たちすぎない様に氷柱に沿わせて流し込む。
並々としたグラスの上で細かい飛沫が躍る。
美味いだろう。
飲む前からわかっている。何より見た目が良いな、と思った。細長いグラスの中に立つ細長い氷がはどれも全く透明だった。
屋根の上にあった物を口にする事に対して意見をもらう事もあるが、そもそも清潔な物を求めるならばここには来ないだろう。
埃っぽい小屋は1週間も暮らすと鼻の中は真っ黒になるし、寒さと乾燥で喉を痛めるかもしれない。
そんな環境で暮らすここでの生活が好きだ。
快適さと便利さから少しだけ距離を置き、自分自身も自然の一部だと感じられる。
つまり私にとって小屋暮らしとは、氷柱の入ったグラスでジントニックを飲む様なものなのだ。
食事を終え、ぼんやりと考え事をしていた私はある箱の存在を思い出した。
今日、ここの近くにある父の仕事場で使えそうな金具、ありとあらゆるガラクタ達を漁っていた時の事、本棚の上に小さなボール箱を見つけた。
何かキャンプ用品の様なイラストは埃でハッキリと見えない。
空箱だろうと思いつつも何気なく伸ばした手には、意外にも金属的な重さを感じた。
小屋へ着いたら開けてみようと荷物の中に入れて来たのだが作業に追われてすっかり忘れてしまっていた。
その箱を取り出す。
埃越しにPEAK1という文字とガソリンストーブのイラストが見える。箱の様子からしてずいぶん年代物の様だったが、埃の積もった箱の上蓋一枚隔で隔てられているその中身は拍子抜けするほど綺麗だった。
本体は使った跡が無く、説明書も綺麗にたたまれている。保証書の判の日付は私がまだ何歳にもならない頃の物だ。
確かにこのストーブを父が使っている記憶は無い。それはこの箱を見れば明らかだ。
なぜ使う事無くしまわれていたのかは今となって知る方法は無いが、この新品でありながら年代物のストーブの箱はまるでタイムカプセルの様だ。
今ここでかつて父がいた時間に触れている様な気がした。
若い頃の父の姿が蘇る。
きっとまだ、病気を患う前の父が街へ出かけ、これを買って、そのまま箱の蓋を閉じたのだ。
ポンピングしてみるとスカスカと空気が抜けるが、カップを替えればすぐに使えそうだった。
私はこのストーブに30年ぶりの火を灯す決心をした。
外に出てもう一杯だけ飲んだ。
真っ暗な森が雪のせいで奥までぼんやりと見える。
割りものも無くなったのでそろそろ寝よう。
寝る支度を簡単に済ませてロフトに潜り込む。
ストーブの熱がこもる1番暖かい場所だ。
去年の夏から、ここで過ごす時間の大半を冬への備えに費やして来た。
流した大粒の汗の分だけビールが美味い真夏にありながらもその冬の体験は一種の脅迫概念として私の記憶に留まる事になった。
この小屋に泊まるようになってしばらく、担架から持ち手部分だけを取った様なキャンプ用品のコットというものに寝袋を乗せて寝ていた。
秋になり、目の前に迫った寒さを思うとこのまま見過ごせない問題がある事はすぐに分かった。
素晴らしき冬の山小屋での初夜は新調したエアーベッドの上で過ごした。
夜中に目が覚める。
土間のレンガの上でももう幾分か暖かいだろうに。私の背中は錆びたスコップの様に冷え切っていた。
中の空気に対流が起こり、体温が床に吸収されるためエアーベッドは基本的に寒い物らしい。
私は何も知らなかった。今でも知らない。
微睡む、階下からはパチっと薪が爆ぜる音が聞こえる。
暖かさという幸せに包まれながら私は深い眠りに落ちた。
最後に
しばらくぶりにブログを更新しました。
いつも書きたいとは思っていたのですが、文章を書くのが遅い私にとって文字のみで見てきた物、その感動を表現するのは簡単な事ではなく、つい遠ざかってしまっていました。
たーぼの山日記はこのブログから始まりました。日記と言うくらいですから、ノートに書いた思い出の様に後から読み返せる必要があるわけです。
TwitterやInstagramを更新する際にも、小屋暮らしの裏側を書いていますが、SNSという性格上なのか私の性格上なのか、つい格好をつけてしまう事がよくあります。
本当の事を話すべきかしまっておくべきか、分からない時はここに記したいと思います。
たーぼの山日記は、古い知り合いに返し忘れた古い手紙の様に。
思い出した時、その時に考えた事をひっそりと書き残したいと思っています。