前の記事では久しぶりにこの小屋くらしについて書いたが、今回はその続きだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎるという体験は誰にもあるだろう。
私はここに帰ってくる度にそれを感じている。10日以上の滞在も、吹きつける雪のように、あっという間に過ぎ去って行った。
その滞在を思い返すのはずいぶん昔の事の様で苦労する。
2日目の朝は足先にわずかな冷たさを感じて目を覚ました。
これは奇跡の様に思える事だ。
去年の冬、ちょうど今と同じクリスマスあたりだった。
薪ストーブの熱をたっぷりと蓄えたロフトに潜り込んだ私はエアベッドの上に敷いた寝袋の中で微睡んでいた。
2時間ほど経っただろうか。
目を開いても見慣れない暗闇でどこにいるのか分からなくなる。
「死ぬ。」
驚いた事にエアベッド側の背中は感覚が無いほど冷え切っている。
その後なんとか起き上がり、ストーブの火を絶やさぬように寝ずの番をする事になった。。。
当時はまだロフトに壁も無く、熱はこもらなかった。
と、まあこの冬の洗礼は以前のブログにも書いたので詳しくは書かないが、とにかくこの体験が私の山小屋生活をお気楽モードの楽しいものから常に次の冬という脅威に追われるものへと変えた。
雪が溶け、畑で鍬を振り上げる度に汗が噴き出す。
労動の最大の報酬は川の流れに浸り冷たいビールを瓶から直接飲む....
北国の冬など誰もが忘れそうな夏の日にあっても私は2020年のこの日を忘れる事は無かった。
春から秋までの山小屋での滞在とは前の冬と次の冬の間でしかないのである。
木を切り、割って薪にするのはもちろんの事。
小屋にあるありとあらゆる隙間は目についた箇所から徹底的に塞ぎ、あらゆる冷気を遮断する....
だったらさっさと意地を張らずに断熱材でも貼れば良いのに、と思った方。
はっきり言ってあなたは正しい。
しかし私には断熱材を使うつもりはこれっぽっちも無く、それはこの場所を作った時から変わらない考えだ。(断熱材については記事が一つ書けるくらいの思いがあるのでそれはまたの機会に)
話を戻そう。
ある種の強迫観念ともとれる経験はキリギリスからヴァイオリンを取り上げた。
どの季節にあっても私は小屋の温度を1℃上げる事を考え続けた。
次の冬を越すために。
それがどうだろう。
今朝の目覚めは、凍りついた背中とも、朝日が登るのを待った長い時間とも無縁なものだった。
まるで当たり前かの様に、快適に朝日がカーテンの隙間から差し込む小屋の中で目を覚ました。
ロフトの窓を開ける。
ロフトの中よりも5℃は低いであろう小屋内の空気を感じ、このロフトに施した防寒対策の成功にニヤッとする。
小屋の室内はきっと氷点下だろう。
去年はこれより寒い場所に晒されていたのだ。
改めて自分の無知さが恐ろしくなる。
それでも私はやった、やった。
数ヶ月かけて、この山小屋の朝に温もりという概念が誕生した瞬間だった。
完全な個室、暖かなベッド。越冬への執念を感じる寝室だ。
私はこの小屋で色々な物を作る事を楽しみにしている。
器用さが伴えば良いのだがそうではないので何か作る度にこの小屋の景観を破壊しているのだが....
それでも懲りずにまたある物を作ろうとしている。
木を切り、削り、ビスで止める度に思う事があった。鉄を加工出来る様になったらどんなに良いだろうか。
この願望は長い月日にわたり胸の中にしまわれて来たが、今回ついに実現させる事にした。
今は通販サイトでありとあらゆる物が売られている。私はその中でも最も安い部類の溶接機を買うことにした。
格安の溶接機は働き者で、ここでの工作の幅を広げてくれた。
届いた箱を見ると配達業者の間違いかと思う程に小さいものだった。
この中にある物が強力なアークを発生させ2.4mmの鉄板同士を一つにするのだろうか?
溶接をするのは実に20年ぶりだ。
県内の工業高校で溶接を学んで以来、私はこの手の作業から遠ざかっていた。
もう二度とこのスキルを生かす事は無いだろう、
そう思っていたが20年の時を経て今再び鉄板に火花を飛ばそうとしている。人生とは本当に不思議な物だ。
小さな溶接機は芯棒を溶かし、切り出した鋼材を繋ぎ止めてゆく。
このささやかな山小屋鉄工所の第1作目はロケットストーブだった。
外のポーチにストーブがあったら良いだろうとは思っていたが既製品はほとんどが薄いステンレス製だ。
小屋で使う物には軽さは求めない、とにかく丈夫な物が欲しかった。
何か欲しいと思う物がある時、自分で作るという選択肢があるのはとても大切な事だと思う。特にこんな場所では。
使い勝手はどうだろう、完成したこのストーブを見てもその性能は未知数だった。
吸気口に扉を設けて火力の調整が出来る、とか煙突に作る五徳は持ち運ぶ際のハンドルを兼ねたものにしたい、とか幅をコーヒーの焙煎器に合わせようかとか、このストーブにはそんなアイデアを盛り込む事にした。
真冬の北国の屋外で行われる細かな手作業だ。
小さな失敗はいくつもあったが、完成したそれは確かにストーブの形をしている。
完成したストーブに火を点ける。
「ロケットストーブ」
その名に違わぬ炎の柱ががくべた枯れ木や端材達を飲み込み、ウッドデッキの屋根は熱を受け氷柱は滴が流れては落ちてゆく。
吹き込む風は冷たいが、その風が来る方向を見ながらある考えが浮かんでくる。
ウッドデッキの端に薪を積んだら薪棚兼、防風壁になるのではないのかと。
このウッドデッキは半個室になるし、薪を大量にストックしてこの採集生活から卒業出来るかもしれない。
ここで暮らしていると、稀に良いこと尽くめのアイデアが浮かぶ事がある。
一石二鳥、三鳥。まだ取らぬ狸の皮でしかないが、幸せな瞬間だ。
このストーブでは基本的に薪は燃やさない。
燃料は森から拾って来る枯枝だ。
小屋から20mも歩けば雑木の森があり倒木や立ち枯れした木がたくさんある。
枝が枯れて落ちると橇を引く障害になるので、森を散策がてら歩いては拾うようにしている。
割らずに使えてそこそこ火持ちが良い物が理想的だ。
出来れば腕の骨くらいの太さの物が使いやすい。
ある時は焚き火用、またある時はコーヒーの焙煎用の枯枝を飲み込んだストーブの煙突からは炎の柱が高く上がっている。
ストーブの周りを囲むように雪は溶け、氷柱から落ちる滴の間隔は短くなる。
これは大成功と言って良いのではないだろうか。
強力な熱量、それに伴う燃費の悪さ。
ロケットストーブと言う名前に相応しい物が出来た。
金属を溶接出来るようになり、今まで妄想話でしかなかった様々なアイディア達が急に現実味を帯びてくる。
この溶接機が、これからの山小屋の発展に貢献してくれる事は間違いないだろう。
薪作りの話
冬の山小屋において、最も大切な物はなにだろうか?
食糧、寝袋、温かいブーツに手袋、お酒だって気分をリセットするために大切だ。(私の場合は常にリセットばかりしている気がするが)
そして何よりストーブた。
しかしストーブがあればそれで良いわけではない。
暖をとるためには燃料が必要だが、薪ストーブの場合は当然燃料は薪という事になる。
この薪の確保というのが、山小屋生活において非常に重要であり大変な仕事なのだ。
薪はどの様にして手に入れるか?
まず買うと言った場合、小屋から下った町のホームセンターでは、昨今のキャンプブームのずっと前から薪が売られている。
1束500円ほどだが、これは小屋の薪ストーブで燃やしてせいぜい3時間くらいの量だ。
寝袋に包まり寝ている時間を除いて常に燃やそうとすると5束は必要になる。2500円だ。
1日2500円という事は1週間で17500円、2週間居れば35000円という事になる。
もちろん燃えた後には灰しか残らないし、その灰の価値というのは限りなく無に等しい。
数日分の薪を積める様なトラックが無い限り、町のホームセンターまで毎日買いに行く事になるだろう。
とにかく私にはそんなお金も時間も無いので、最もお金のかからない「自分で薪を調達する」という方法を選ぶのは全く当たり前のことだった。
真夏以外は薪を燃やす。北国の山小屋生活は多くの薪を必要とする。
しかし大きな問題がある。
この小屋暮らしを始めた時、私の年齢は32歳。
かつて田舎を飛び出し、上京したのは18歳の春だった。それから14年間東京で暮らしていたので人生の半分は都会暮らしをしている事になる。
ここで過ごした18年間だって、文明に浸かった少年時代だった。
つまり山小屋生活を始めた時点の私は、自然の中で暮らす知恵も技術も特に持っていなかったという事になる。
1年目の大きな失敗の1つは、準備する薪の量が少なすぎたという事だった。
当時の小屋にはまだ玄関前に小さな屋根があっただけだ。
そこには申し訳程度の薪が積まれているだけで、私はその薪だけで合計20日ほどになる冬の滞在を乗り切ろうと思っていたのだった。
知らないという事は命を落とす理由にじゅうぶんなり得る。
しかし自分の無知さを嘆いても薪の山は高くならない。
私は廃材で作った橇を引き、森へ入り立ち枯れした木や燃やせそうな枯れ枝を探した。
その日暮らしの薪集めというのはあまり聞いた事が無いが、やらないわけにはいかないのでほとんど毎日、橇を引いては森に向かった。
そりにチェンソーを乗せて森へ枯れ木を探しにゆくのは冬の山小屋生活の日課になった。
ずいぶん話が脱線してしまったが、今年は去年の反省を活かして小屋には立派な屋根付きのウッドデッキを作った。
そこには去年の3倍は広い薪棚があり、春のうちに天井まで薪を積んでおいた。
しかし、予想外に夏が寒かった事と子供達とずっと山小屋滞在を共にした事で、冬本番を迎える頃にはずいぶんの量の薪を消してしまっていた。
結局、この冬も私は橇を引き、森へ枯れ木を求めて入ってゆく羽目になってしまった。
しかし、枯れている木でも中は乾燥しきっていない薪に適さない物もあった。
そうなると時間も労力も無駄になり、薪も増えない。
つまり、薪というのはいくらあっても多いという事は無いのだ。
私は来年のため、たくさん薪を作る事にした。
出来れば薪棚も新しく作りたい。
そのためには森にある大きな木を切り、運び、割り、乾かす必要がある。
私はこの冬の滞在中に、大きなミズナラの木を一本切り倒しておく事にした。
冬は雪があるので木を切るのに適さないと思っうかもしれないが、冬のうちに木を切り倒す事のメリットは多い。
まず、広葉樹の場合葉が落ちているのでその分軽い。そして風の影響を受けにくい。
枝を焚きつけとして利用する事を考えても、葉がない方が作業がずっと楽になる。
それに雪解けの頃から、木は新芽を伸ばすために地中の水をどんどん吸い上げる。
つまりそれ以前に切ってしまえば作業も楽に、乾燥にかかる時間も少なくなるというわけだ。
とりあえず冬のうちに切ってしまって、ゆっくり薪にすれば良い。
言うのは簡単だが、この場所で木を切って生活するという事はある決意を伴った。
私の小屋を出て森へ向かい、ちょうど川の岸と左手に広がる山の斜面がぶつかるあたりだ。そのミズナラの大木は二股の幹を青い空に伸ばしている。
深い皺が刻まれたその幹は、私の生活圏である川沿いの道と山へと向かう坂とを明確に分けていた。
周りのもっと若い木は切られていて、大きなそのミズナラの木の存在感をより一層大きくしている。
私はそのミズナラの木を切る事ができずにいたのだ。
斜面の方に傾いているようにも見えるが、また別の角度からは川の方へと傾いているように見えるその木は、私の頭上のはるか高くに幾重も枝を蓄えている。
根元で数センチ狂ったズレは、枝先では数メートルになるだろう。
もし、川岸の木にかかってしまえばもう私の手には負えない。薪になるはずだったそれ達はたちまち山小屋生活の脅威となる。
そんな思いもあり、私はこの木に手を出せないでいた。
しかしこの木を切らない限りはその後ろの木も横の木も薪になる事はないだろう。
山小屋生活を続けるならば避けて通れない相手だ。
切ると決めた日の次の朝、私はいつもより早く起きた。
チェンソーの刃を丁寧に研ぐ。
このチェンソーのガイドバーの長さは35cmだが切る予定の木の幹は45cmはある。
私は30分かけて納得のゆくまでソーチェーンを仕上げた。
深く積もった雪をかき分けてその木へ向かう。
手にはプラスチック製のスコップとハスクバーナ135 eだ。
赤いマジックで受け口を描く。
数日前にプラグを替えたばかりのエンジンは1発で始動する。
2ストローク特有の音と匂いは、赤い線を白い木肌と切り屑に変えてゆく。
受け口が出来た幹は口をパックリと開けている様でなんだか間抜けだ。躊躇する事なく追い口に向かう手に力を加える。
ある所まで切り進めた時、パッとチェンソーを引き戻す。
その瞬間はアイドリングの音が聞こえないくらいに静かだった。
足元の幹の繊維がちぎれてゆく微かな音が聞こえる、その一つ一つはやがて断末魔の叫びとなり倒れてゆく。
枝が空気を切り裂く音が聞こえる。
世界が大きく揺れ、その後にやってくるのはいつもと変わらない静かな森の景色だ。
見慣れないのは斜面に横たわる木と、今朝まではこの森に無かった巨大な切り株だ。
チェンソーのエンジンを止めて切り株の上に立つ。
長い幹はここしかない、という川と道の間に真っ直ぐ伸びている。
上手くいった。
たまたまだろうか?
私はまだまだ木の伐採について未熟で無知だか、少なくとも成功する様に考え、それを実践した。
この木は私が望んだ方向へ、望んだ様に倒れてくれたのだ。
切り株に少し、お酒をかけてやりたい。
小屋に残っていた日本酒を取りに戻る。さっきまではるか頭上にあったミズナラの枝は私の目線の高さにあり、そこにはいくつかドングリがぶら下がっている。
落とされないよう、母親にしがみつく子供の様だと思った。
私が今切り倒した大きなミズナラの木は、何百ものドングリ達のお母さんだったのだ。
命を奪い、初めて相手を理解したような気がした。
申し訳ない気待ちはもちろんあるが、私もここで生きてゆくために切らねばならない。
飲みかけのお酒を切り株にぐるっとかけ、この枝の一本まで無駄にしないよう誓った。
大きなミズナラ。巨木が倒れるときは独特の緊張感がある。
ドラム缶風呂の話
長かった冬の山小屋滞在。
やった事。見た事。思った事。
様々な体験がたくさんあり、その一つ一つが厳しい冬の素晴らしい思い出達だ。
その中でも、記憶深くに刻まれたある夜の事を記してこの日記の最後にしたい。
山小屋に必要な事ってなんだろう。
もしそう聞かれる事があれば私はこう答えたい。
「ワクワクする事」だ。
一晩で真っ白になった朝の森を歩くのはワクワクする。
パチパチと音を立てて小屋を暖めてくれるストーブもワクワクする。
そこで飲むビール、屋根裏風のロフト、手作りの床、氷柱のハイボール、小さな階段、暗い地下室、小さな畑、そこに植えたリンゴの木、夏の夕立、そしてランタンに照らされた子供たち。
小屋を恋しく思い、この生活を続けたいと思う理由はこのワクワクだ。
雑木の森の隅にある小さな小屋の周りには欲しい物全てがある。
ここは忘れられた場所だった。
欲しい物は欲しいと思った物を作れるその場所自体だ。
その愛してやまない森を見渡せるようなウッドデッキを作った。
そしてそのウッドデッキの上には、青いドラム缶が置かれている。
山小屋の風呂は露天風呂。
オイルが入っていたドラム缶に、薪を燃やしてお湯を沸かすボイラーをつなげたその風呂は、去年の春に作った物だ。
秋には子供たちが入って大いに喜んだ。
ドラム缶のお風呂なんてマンガでしか見た事が無かったので、水を溜めているうちからもうワクワクする。
厄介な掛かり木を2本片付けたその日、ひどく疲れた私は雪の中、そのボイラーに火を入れる事を決めた。
ボイラーと言っても、ガスの家庭用ボイラーとは違ってスイッチ一つで熱いお湯が出てくるわけではない。
手の切れるような冷たい水を溜め、ボイラーに詰めた枯れ枝にマッチで火を点ける。
設置の際にミスをいくつかしたこのバスタブは、中でお湯が循環しないので何度か木の枝で攪拌してやる必要がある。
とにかく、この風呂に入るというのは途方もなく手間がかかるのだ。
近所の温泉に歩いて行った方がよっぽど早くて安上がりだ。
ではなぜ今、ドラム缶風呂の支度をしているのか?
ワクワクが止まらないからだ。
マイナス15℃の雪景色の中、狭いドラム缶にはられた熱い湯。
考えるだけでなんと待ち遠しい。
張り詰めるほど透明な空気に湯気が登り始めた頃、森は夜の気配を纏っていた。
私はありったけの根性を振り絞って裸になる。
薄暗い雪景色の中、裸の人間がいるのは不思議だな。なんて事を思って少しにやけていると、一気に強烈な寒さが襲う。
慌てて入るドラム缶の中は熱湯かと思うほどで浸かった部分がヒリヒリする。
戻るも地獄、進むも地獄のこの状況、ならば進もう。
やっと湯温に慣れ、ひと息つこうかと思った時私は大変な忘れ物をしている事に気がついた。
夏のうちに玄関ドアの横に作った小さな戸棚。
そのうち何かを入れようと思い作ったのだが、何も入れる事が無いまま冬になってしまった。
冬になりようやく外で飲むためのビールを冷やしておく棚、というなんとも泣けるほどにささやかな役目を得たのだった。
その戸棚は自分の仕事をしっかりと守っている。
その中には地ビールが数本、他にも缶チューハイがいくつか入っているはずだ。
ちょうどドラム缶風呂から正反対の場所にそれを取りに行かなければならない。
わずか5mほどのその距離が50mにも感じられる。
それでも、どうしても取りに行かないといけない。
雪の中、日暮ゆく森を眺めながらドラム缶の風呂に入るなんて。こんな生活をしていてもそう何度も体験できる事ではないだろう。
そんなチャンスにビールが無いなんて。
凍りつく寸前まで冷やされているであろうビールを求めて私は再び凍える空気に裸を晒した。
先ほどよりもずっと心地よい温かさを感じながら、私は細長い缶の中に体を滑らせてゆく。
アルミ缶のタブが弾けるような音を出して開けられる。
熱い湯の中にいる私の熱い腹に、想像通りよく冷えたビールがなだれ込んで来る。
あまりにも冷たいので腹の中でも泡の1つまで感じ取れそうだ。
顔面は冷気に晒されてて強張る。
凍りついた冬の山で、この小さなドラム缶だけが暖かい場所だ。
それをお湯をたっぷり含ませたタオルで溶かしてやる。
チャポンチャポンという音。
力強い湯気が途切れることなく登ってゆく。
そしてまたビールを口に含む。
冷たさなのか、炭酸の刺激なのか。強烈な感覚が喉を駆け抜ける。
それからうっすらと青みがかった景色が、深くなってゆくのを時間をかけて楽しんだ。
それなりの酒飲みならば、それぞれビールの美味い飲み方を持っているだろう。
私はあの冬の日に飲んだビールの味を超える体験をまだしていない。
今回の「冬の小屋暮らしを振り返って」という記事ですが、書き終わったのは山小屋にも梅雨が訪れた後になってしまいました。
情けない話ですが、暑い夜に寒い山小屋を想い涼しんでいただけると幸いです。